【コラム】ビットコインは終わったのか
ビットコインが作り出す未来
「仮想通貨元年」の声の元、華々しく築かれたバブルの塔ははたして幻だったのだろうか?
すでに9割近い市場の縮小がみられる仮想通貨(暗号資産)が迎えたこの状況が世界全体においてどのような状況なのか、その真実をここに明らかにしたい。
・ビットコインは何度でも殺される ・希少価値は上がり続ける ・賢者はビットコインが信じられないほど高騰すると知っている
ビットコインは死んでいる
正確には何回も死んでいる。
詳しくはBitcoin Obituaries – Bitcoin Declared Dead 300 Times and ountingで確認できるが、おおむね300回ほど「死んだ」と言われつづけ、そして今なお言われている。
市場価格でいえば、大きく高騰した2013年の1175$から、その十分の一以下となる100$まで暴落した経験がある(取引所によっては1.5$まで崩落した)。
一般的な投資対象……証券であれば、ここまで値崩れを起こせばもう二度と値が付くことはない。もはや倒産寸前の株に近いと言える。
それでもビットコインは再び値を付け始め、2018年初頭のバブルを生みだすに至った。
ここが証券などとの大きな違いであり、ビットコインが投機対象として見られるようになった点だ。
これはビットコインがデータでありながら、その存在証明が行われていることを市場が示唆しているともとれる現象だ。
ビットコインは実在する
ビットコインの下落が起きるたびに囁かれる言葉の一つに、「ビットコインは実態がなく裏付けもない架空の存在、つまり無だ」と言われることがある。
しかし実際には、相場がビットコインの価値をほとんど無価値と判断される機会があっても、再びより大きな価値を認められるという成長を遂げてきた。
これが意味することは、ビットコインという存在はデータでありながら実在し、私たち個人間で確かに流通しているという事実に他ならない。これは他のALTコインと呼ばれる流通しているコインも同様だ。
さらにビットコインの価値を裏付けているのは、採掘者の95%以上から承認を得なければ変更できない……つまり実質的に変更不可能と考えらる採掘総数が決まっているという仕様だ。
他にも多くの根本的な仕様の変更についてもいくつかの制限があるが、根本的な仕様変更を意味する「ハードフォーク」を行うには、実質的には新しいコインを生み出す以外の選択肢がない。取引用のデータサイズを変更させることですらビットコインキャッシュを生む結果につながったのだから、発行総数の変更となれば言わずもがなだ。
こうした希少性こそが、これからもビットコインが求められ続ける確かな証拠として君臨している。
なぜ暴落し、なぜ暴騰するのか
多くの富をえている存在にとってビットコインはどのように見えているのだろうか?
答えは簡単だ。
「何としても手に入れたい希少品」であることに変わりはない。
しかし、限られた枚数しか存在しないビットコインをどのようにして数多く手に入れられるのだろう? その答えが価値の暴騰であり、暴落だ。
もしも未来から見て、ビットコインの価値が年単位でみれば下図のようだと知ったら多くの人々は思うだろう。
「あの時に買っておけばよかった」
「あの時売らずに持っておけばよかった」
しかし時足や分足ではそうはいかない。周期として経済には上昇する時期と下降する時期を繰り返しており、これは売買で取得数の増加を狙う資本家にとってごく自然な行為だからだ。
繰り返される心理戦が大衆の行動と連動し大きなうねりとなるのが相場であり、そうした細かい波が大きな波になりトレンドを作っていく事が経済だからだ。
資本家たちはそうした大きな流れをうまく掴み、ビットコインの所有数を増やし続けている。
ビットコインはどこまでも希少性を重ねていく
極論を言えば、ビットコインは価値を失われる設計になっていない。
だから決定的な問題が発生しない限り、理論上はどこまでもその価値を高め続けることになる。
多くの賢い資本家はそれをとうの昔に理解しており、国家をはじめとした為政者や権力者たちはその利権を勝ち取るためにやっきになっているといってもいい。
唯一無二のオリジンコインとして君臨するBitcoinというオンリーワンを、勝ち取るための圧倒的生存競争ともいえる世界がすでに始まっている。個人が所有するコインを奪うには既存の制度を強化すればよい。
国家主体でコインを発行し、代替通貨として違う選択肢を与えることでビットコインと両替させて奪ってもいいだろう。
マイニングそのものを制約し、国家主体で秘密裏に採掘を行うという手もある。
いずれにしても、個人が取れる手段は日に日に狭まっているのだ。
最後に
この見解はあくまでも筆者個人のものにすぎず、真実であるという信ぴょう性には乏しく、ともすれば妄言の類ともいえる。
信じる方がどうかしていると言われてもおかしくはないが、それだけの怖さがあるテクノロジーだというのは真実であり、ビットコインは現代の産業革命だと筆者は日々の確信を感じ続けている。
それだけの可能性をもったビットコインという存在が、その中の技術の一つであるブロックチェーンにしか興味を持たれないという事自体がおかしなことなのだ。
金融庁のリサーチの速さ、規制内容の綿密性がこれを裏付けているように私には思えてならない。
世界経済は悲鳴をあげ、株価の急落や景気の後退は余談を許さない状況だ。こんな状況下において、筆者が言えることはもはや一つだけしかない。