カスタマーハラスメントとクレームを混同しがちな世の中への警笛
世間は空前のカスハラムーブメントである。
企業対応はいうに及ばず、県や都などの役所でも利用者の過度な要求に対して非常に敏感になっているのだが、これは果たして本当に良い流れなのだろうか?
カスハラとは何か?
昨今問題になっているカスタマーハラスメントとは、結局何なのかについて改めて考えてみよう。
カスタマー(お客様)からのハラスメントなので、いわゆる過去の例で挙げればパワハラやセクハラなどのいろんなハラスメントを顧客が従業員に対してすることだ。
当たり前の話だが、あわや犯罪になることを相手が従業員や店員だからといってやっていいという理由にはならない。
つまりれっきとした犯罪予備軍行為なのだ。
世間一般的にパワハラやセクハラ、モラハラなどのハラスメントと判断できることを、顧客の立場で行うことという定義になる。
つまりこの状況に該当しない顧客からの圧力といえば何かというと「クレーム」だ。
クレームとは何か?
「クレーム」は、商品やサービスに対して不満や不具合を指摘し、改善や対応を求める意見や要求のことである。 引用–https://www.weblio.jp/
クレームとして認められる条件は、顧客からの「指摘」が正しく「要求」されているかどうかです。ここがものすごく大きくかかわってくる上に、前述の各種ハラスメントをギリギリ抵触しかねない要素が含まれる。
ハラスメントにならないようにしっかりと意見を主張し、問題解決してほしいとして意思を要求する限りはクレームなのだ。
こうしたことはすべてのサービス提供者は無視できない。
しかし、この境界線をかぎりなく曖昧にしているのが「怒り」だ。
カスハラとクレームの境界線
顧客や利用者にとって「理不尽」を感じた時や「軽んじられた」と感じた時、正当な対応を受けられなかったときに人は怒る。
度重なる企業や役所の不手際でイライラが限界に達したときに人は怒るわけです(そうでなくても機嫌悪くてすぐに怒る人もいます)が、問題はこの怒りがかならずしも正当な主張として認められない場合が増えつつある、ということだ。
冷静であるというのはとても大切なことである。
喧嘩は熱くなった方が負けなので、やはり負けないためには冷静でいたいものだ。慌てたり騒いだりしてもそこに冷静な計算が無ければ望む結果を得ることは難しい。
でも、「裏切られた」とか「騙された」とかの大きな負の感情からくる巨大な怒りは、クレームの本質だ。
だからクレームは間違いなく大きな怒りを伴った行動になる。
カスハラムーブメントの影響でこうした「怒り」に任せてとったクレームが取りざたされ、正当な主張も面白おかしく脚色されて晒され、恥をかくことがある。そのためそうした事態を避けたい人々は「ちょっと落ち着いてから言おう」とワンクッションおくわけだ。
すると、検挙で知られる日本人は冷静になり、
「なんであんなしょうもないことで怒っていたんだろう」
とクレームをあっさりとやめてしまう。
こうなるとサービスの提供者は、せっかくの肝心な改善の機会や提案を失ってしまうわけである。
求められるより高度な「会話力」
そこで重要になるのが「カスハラ」と「クレーム」を正しく見分けることができる「会話力」となる。
意思疎通ひとつで大きく企業の印象を左右する問い合わせ窓口や、広報の表現力や人間力がより大きな比重で問われ始めているといってもいい。
ついつい声を荒げがちな人 なのか 単に他人を貶めたい人 なのかを見分け、的確に対応することができるかどうか。
また、ハラスメントにならないように顧客を誘導する能力もまた求められるだろう。
カスハラムーブメントが起こしつつある、より高度な顧客対応の進化はもはや目前に迫っている。
カスハラムーブメントが起こしつつある、より高度な顧客対応の進化はもはや目前に迫っている。
カスハラムーブメントが起こしつつある、より高度な顧客対応の進化はもはや目前に迫っている。